成熟社会では、自らの幸福論を、自分で見つけていくしかない。どうやってそれぞれ1人1人の幸福論を築くか?
昨日、娘にこんな話しをしました。
世の中には2種類のタイプがあって、努力出来る人と出来ない人がいる。
出来る人は、何に対しても努力するので、目標を達成できたり、自分から幸せを掴む事ができる。または、掴むチャンスを得られる。辛いけど可能性を感じられ、達成出来れば充実感や達成感を得られる。
逆に、努力出来ない人は、努力することすらしないので、そういった機会さえも、みすみす逃すことになる。日々変わらず、淡々と過ごす。特に得られない。むしろ、それすら望んでいない。
極端な例ではありますが、娘には、努力出来るってことは、そういうチャンスやそういう感覚を得られるんだよーって。
今、娘は、ピアノを習ってて、本人的に難しいところに挑戦してて、なかなか上手くできなくてもがいていました。でも、諦めずに地道に練習してきたおかげで、難しいところもクリア出来ました。
そんな時にこの話をしたんです。
本でもそうですけど、読む人と読まない人には、そこに向かう意識の違いがあって、その人が自らを成長させる為にどういう意識でいるか?ってところ。
そして、それに向かって努力できるか?ってところだと思います。
別に本を読むことが偉いわけでも、凄いことでもありません。自分だってそんなに読んでるわけでもないし(笑)
少しでも、今よりも、何かを変えようとして、自分を成長させようとして、その行為に及んでいる。と、いうことが一番重要だったりするのかな、と思います。
なので、次の本、探そ〜^ ^
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